
子どもたちの経験談~26年8月1日「不登校・学校生活が不安な子どものための進路説明会」での語り~
不登校状態にある子はどんな思いを持っている?不登校を経験した子はどんな進路を歩み、今その経験をどう感じているのだろう?――そんな問いを持っているみなさまに、不登校を経験した2人の方の声をお届けします。
2026年8月1日(土)に砧区民会館で行われた「不登校・学校生活が不安な子どものための進路説明会」では、不登校を経験した子ども・若者に、当時と今の思い、歩んだ進路について語っていただきました。

ーーまず、自己紹介をいただけますか。
ーー不登校の時期、どんな気持ちでどのように過ごしていましたか?
高校の3年間は、学校外の居場所に行ったり、不登校の子が集まる子ども食堂でボランティアをしたりと、いろいろな場所に行けるようになりました。
ーー不登校の時期、できなかったこと・逆に不登校だからこそできたことを教えてください。
あとは青春です。学校でのキラキラした生活って、漫画やアニメでよく描かれるじゃないですか。おしゃれをして友達とプリクラを撮ったり、恋愛や友情の物語だったり。でもそういうものは学校に行っているからこそ得られるもので、家にいた私にはなかったですね。やっぱり憧れはありました。今は大学で友達ができて、プリクラは撮らないですけど(笑)、学校で仲良く雑談したりはできています。
逆によかったのは、平日の昼間にテーマパークに行ったり、人の少ない映画館でのびのび映画を観たりと、娯楽を楽しめたことです。大人になると、なかなかそういう時間は取れないので。「平日なのに」と思ってしまうことはありましたが、楽しいものは楽しいですし、家にずっと閉じこもっているより絶対にいいと思うんです。外に出て、外の世界とつながることは大事だと思います。
ーー親や周囲の大人にされて嫌だったこと・嬉しかったことを教えてください。
あと、これは人によると思うのですが、私は「泣かないで」と言われるのがしんどかったです。そんなことはこっちだってわかっていて、それでも止められなくて泣いているので。泣いているときはそっとしておいてほしい。でも同時に、かまってほしい、慰めてほしいという気持ちもあって。私の場合は、ある程度時間を置いてから、様子を見に戻ってきてほしかったです。
嬉しかったのは、いろいろな場所に連れ出してくれたこと、それから自分の趣味を一緒に好きになってくれたことです。趣味の話が一緒にできると話すきっかけになりますし、人と話す練習にもなりました。
一番嬉しかったのは、愛を伝えてくれたことです。母は「大好きだよ」と言ってくれたり、ハグをしてくれたりするタイプで(笑)。不登校だと他人とつながりにくくて、人から認められることが少なくなってしまうので、自分のことを大事だよと認めてくれる存在は本当にありがたかったです。
ーー次のステップへ進もうと思ったきっかけ、今の進路に至るまでを教えてください。
大きな変化があったのは高校1年生のときです。急に外に出やすくなって、体力や精神力がついたのか、人と関わることが楽になりました。
高校も大学も、3年生の春から夏にかけて考え始めて、どちらも夏にオープンキャンパスへ行きました。その学校に足を踏み入れるだけ、という感じで。学校に着いたら涙が止まらなくなって、もう帰りたいとなることもたくさんありました。母がパンフレットをたくさん取り寄せてくれて、それを見ながら、夏の間に決めました。
ーー最後に、今悩んでいる当事者や保護者の皆さんへメッセージをお願いします。
ーーまず、自己紹介をいただけますか。
ーー不登校の時期、どんな気持ちでどのように過ごしていましたか?
中学1年生で不登校になり始めたころが一番しんどくて、家からもなるべく出たくないという状態でした。外に遊びに行くようになったのはその後で、そのころはやりたいことをやって楽しかったと思います。
ーー不登校の時期にやっておいてよかったことを教えてください。
もう1つは、好きなものに振り切った時間です。当時は音楽を1日3〜4時間聴いたり、芸人さんが好きでバラエティ番組を何周も繰り返し観たりしていました。そういうものが今では語れるものの1つになっていたり、「やりたい」という意欲の根っこになっていたりして、僕という人間の中で大事な要素だったんじゃないかなと思います。
ーー親や周囲の大人にされて嫌だったこと・嬉しかったことを教えてください。
学校に行かなくなった最初のころは、親がなんとか学校に送り出そうとしてくれたりもしましたが、一時的な効果しかないのかなと思います。まずはちょっと休ませてあげてほしいです。
それから「なんで不登校なの?」と理由を聞かれすぎるのも困りました。いじめなど重大な理由がある場合もあるので大事な質問だとは思うのですが、僕自身、なんで学校に行けないのかわからない部分がすごくあったので。
嬉しかったことは大きく3つあります。1つ目は、途中から普段通りに接してくれたことです。中学2年生になってからは、不登校でいる期間が自分にとってあまり苦ではなくなったのですが、親のそういう姿勢もあったんじゃないかと思います。今思えば、親も不安な中で演技をしていたのかもしれません。家の中で休めて、そこから学校に行けるという流れができました。
2つ目は、心療内科に連れて行ってくれたことです。そこでADHDの診断を受けたのですが、それが僕にとってはすごくよかったんです。診断が足かせになってしまうこともあるかもしれませんが、僕の中では背もたれのような存在になりました。周りのみんなが普通に学校に行けるのに、なんで自分はできないんだろうという問いに理由がついて、自分自身を責めることがなくなりました。最初は別に行きたかったわけではなく、連れて行かれたという感じでしたが、結果的によかったです。
3つ目は、電子機器の使用時間にルールを設けてくれたことです。「1日何時間まで」ではなく、朝5時からパソコンが使えて、夜は使えないというルールでした。そのためだけに毎朝5時に起きていたので(笑)。これがなかったら確実に昼夜逆転して、友達と遊べなかったり、学校に通い直せなかったりしたと思います。
ーー次のステップへ進もうと思ったきっかけ、今の進路に至るまでを教えてください。
中学のときは、ちょうど新型コロナウイルスが流行って分散登校になったんです。2日に1回の登校で、これがよかった。そこからうまく波に乗れて、クラスに友達が多かったこともあって、通えるようになりました。進路については、シンプルに勉強が楽しかったからですね。不登校で遅れていた分を取り返していく感覚が楽しくて、そのまま公立高校を受験しました。
高校では、夏から学校に行けなくなり、メンタル的にもかなりつらくなって、そのまま高校をやめることになりました。こちらもきっかけは偶然で、能登半島の地震の被災地へボランティアに行く友人がいて、その子について行ったんです。そこでいろいろな大人と話したことが大きなきっかけになりました。その後は高卒認定試験を受け、不登校経験のある子が多く通う横浜の塾で勉強して、大学受験をしました。
どちらも偶然ではあるのですが、共通して言えるのは、巡ってきた人生が変わるチャンスにちゃんと飛び乗れるまで、自分が休めていたということが大きかったのではないかと思います。
ーー最後に、今悩んでいる当事者や保護者の皆さんへメッセージをお願いします。
それに、逃げ続けた先にも人生はバーっと広がっています。学校にいる間は一本道のような気がしてしまうけれど、まったくそんなことはなかったと、今は思っています。
いかがだったでしょうか。
今回は2人の方に、不登校だった当時のこと、そして今に至るまでの歩みを語っていただきました。ひとくちに「不登校」と言っても、過ごし方も、周りの大人にしてほしかったことも、次の一歩を踏み出したきっかけも、それぞれ異なります。それでも2人のお話からは、自分のペースで休めた時間や、好きなこと・人とのつながりが、次の一歩につながっていったことが伝わってきました。
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