「不登校当事者による多様な進路交流会」レポート③ 〜保護者の経験談 vol.1〜
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「不登校当事者による多様な進路交流会」レポート③ 〜保護者の経験談 vol.1〜

 2025年3月20日(祝)に三軒茶屋のキャロットタワー5階で行われた「不登校当事者による多様な進路交流会」では、子どもたちだけでなく保護者の皆さんにもおはなしいただきました。

 不登校当時のお子さんの様子や現在の様子、その時に保護者として意識していたことや考えたこと、どのような対応をしたのか、を中心にお話を伺いました。また、その経験を経て、同じように悩む保護者の方へのメッセージなどもいただきました。

 vol.1の今回は、4名の方のお話を掲載します。

 

〜こちらもあわせてお読みください〜

★過去の「不登校当事者による多様な進路交流会」会場レポートはこちら

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Staff member avatar Aさん
A(仮称)と申します。よろしくお願いします。

今、うちの息子は高校1年生で通信制の学校に通っています。

小学校のときは私立のこぢんまりとした学校に通ってまして、そこではなんとか通えていたんですけれども、元々、本人にHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)、いわゆる「繊細さん」なところがあったのかなと思っています。得意/苦手の凸凹のあるタイプだと思います。

小学校5年生から、本人が中学受験をしたいと言って塾に通に通い始めました。初めは自信満々だったんですけれども、小学6年生になる頃からだんだん不安定になってきて、勉強も手につかなくなって成績がどんどん落ちていって、というような感じでした。受験の結果第一志望校には届かず、本人の希望ではなかったもののいわゆる伝統校の中高一貫の男子校に入りました。

その学校はよくも悪くも「昭和」な雰囲気のところでして、学校全体の雰囲気もちょっと合わなかったことと、本人のメンタルが不安定だった状態ことと、担任の先生がかなりひどい暴言を吐かれたことなどがあって、中1の3学期から不登校になりました。親としては学校の先生と話をしたりして、いろいろ問題点を指摘したところ、そうしたら、わりと理解のある先生のクラスに入れてもらえました。ただ、2年生になって早々にクラスに溶け込めないと思ったようで、それ以降通えなくなってしまいました。

それからしばらくは1日中外に出られず、スマホのゲームをしたりYouTubeを観たりしている日々でした。親としても、不登校ということがそもそも全く理解できなかったので、本当に途方に暮れたんですけれども、区で親の会が行われているので、最初に妻がそういったところに通って、私も行くようになりました。そこでいろんな方の話を聞いて、特に不登校を経験したお子さんや親御さんの声が非常に参考になって、「不登校ってよくある話なんだな」「あまり無理やり子どもに『学校に行け』と言っても、かえって遠回りなんだな」「本人を追い込んでしまって何も意味ないな」ということに、割と早く気づけたのがすごく良かったなと思います。なので、不登校になってからは、親としてあまりプレッシャーをかけることはなく、自由にさせていました。本音のところを言うと、親としてはものすごい焦りがあったんですけれども、それを子どもには伝えないようにしていたつもりではあります。もちろん子どもには伝わっていたと思うんですけれど。

そうこうしているうちに、不登校になって1年になるかなというあたりでだんだん子どもに変化が見られてきました。私がサッカーの試合に誘ったら行こうかなと言うようになったり、縮毛矯正のために美容院に行ったり。そのうちに空手を始めたいと言いまして、私も一緒に空手を始めることになって。最初は本当に戸惑ったんですけれど、子どもと一緒に何かをやるというのはなかなか得難い機会だなと思ったので、今でも親子で一緒に空手に通っています。空手の方々も非常に優しく指導してくれたので、本人の自信にもつながっていったのかなと思います。

中3になって、出席が3分の2ないと高校に上がれないということだったので、本人も内部進学は無理だなと早々に見切りをつけて、「じゃあ高校どうしようか?」という話を少しずつできるようになってきました。子どもにあまり大量の情報を渡しても理解できないだろうなと思ったので、いろんな話を人から聞きながら情報を絞って子どもに渡していました。中3の夏ぐらいから、私と息子と2人で通信制・定時制を中心に10校ぐらい回りました。

そうこうしているうちに、今本人が通っている、実質通いメインの通信制高校に出会ったのですが、本人なりにすごく考えてその高校に行きたいと言い出したみたいだったんですね。それで、学校に連絡をして授業を見学させてもらって、出願して入学を決めました。

今では毎日通えるようになって少しずつ自信をつけてきたのか、いろんなことに積極的に取り組めるようになってきました。大学に行きたいというふうに言い出して、塾にも今本人の希望で通うようになりました。3学期からは部活にも参加するようになりました。ついこの間本人が言っていてびっくりしたのが、1日中ゲームをやっていたのにゲームをアンインストールしていたんですよね。あと、「失敗してもいいとわかったんだ」「やってみれば意外と思ったより大したことはないよね」と言っていたこともすごく印象的でした。

 

Staff member avatar Bさん
B(仮称)と申します。よろしくお願いします。

うちもAさんと同じで、父親(Bさんにとっての夫)と息子の関係が最初からとても良くて。夫は、息子が不登校になった時から「自分が子どもの立場になって、言ってほしくないって思うことは言わなかった」「我慢した」と言っていました。そのおかげで、夫も息子がやってたゲームを一緒にやりだして、相手がいないときにやったりするということで、二人でやったりしているうちに、今度は夫がハマってしまって。それくらい、夫はかなり息子に寄り添っていたっていうことを最初に説明させていただきます。

息子はこの春(2025年)から大学生になります。小学校の高学年から中学まで不登校で、中学は本当に一度も学校に足を踏み入れず、先生とも一度も会わず終わりました。

うちではゲームをずっとやっていて、外にもほとんど出なかったんですけど、ゲームの中では、ゲーム仲間と交流がありましたし、笑顔もありましたし、大声で笑ったりしていたので、ゲームを作ってくださった方と、顔も知らない、どこの人かも知らない、ゲーム仲間にとっても感謝しています。その皆さんのおかげで、息子は元気に過ごせた、本当に命をつないだんじゃないかと、そういう気持ちになっています。

中学校は全く行かなかったですし、それまで進路について話したことは無かったんですけれど、中学の先生から志望校を聞く紙をもらってきた時に「進学したい」と言い、不登校専門の塾の先生と相談して都立高校を受験することになりました。

夏から塾に通って、といっても息子は先生という立場の人が大嫌いだったので、自習して分からないところは聞くというやり方で勉強して受験をしたんですけど、第一志望には落ちてしまって。本人が自信満々だったので滑り止めを考えていなくて、どうしようとなった時に、こぐまの会(不登校の子を持つ親の会)の方が「この高校がいいんじゃない?」と勧めてくれたんです。それで息子と学校説明会に行って、その通信制の高校に決めました。高校の雰囲気が合っていたようで週2で通えるようになりました。高校卒業後の進路については「大学に行きたい」「何がやりたいかはないけど、みんなと一緒のことがしたい」と言い、本人が面接は嫌だということで一般受験をすることにしました。そこから本当に休みなく朝から晩まで毎日塾に通って、希望した第一希望の大学に合格しました。親はお金を出しただけで、塾選びも本人が自分でやりましたし、わが子ながら見事だなと思いました。

ここまでの話を聞いてスムーズにいったように聞こえるかもしれませんが、全然順調じゃなかったです。「玄関開けて入ったら死んでたらどうしよう」みたいな、そういうとても心配な時期もありました。去年、塾に通いだした時くらいから気持ちが安定したというのが正直なところで、それまでは本当に不安定で、高校も毎日私が送迎していて1人では行けない状態でした。塾には1人で行くんですけど、なぜか高校には行けないという、そういう感じでした。

私は地方から引っ越してきたんですけど、世田谷区の不登校のつどいにまず参加して、そこでコーディネーターの方と保護者の方が話を聞いてくださったのが何よりの心の支えでした。「どの子にもその時が来るから、それまで頑張って見守りましょうね」と毎回言ってくださっていて、それを心のお守りにして耐え忍んだという感じです。

私から不登校の子を持つ親御さんにお伝えしたいことがいくつかあります。

まず、勉強は本人がスイッチを入れてやったほうが、断然親子ともども楽です。スイッチが入っていないのに、勉強しろしろというのは、本当に苦しいだけなので、お勧めしないです。言いたくなってしまうと思うんですが、言わないほうが早いかなと思います。

それから、おひとりで情報を集めるのは精神的にも本当にキツいと思うので、どこかに足を運んでいただいて、できるのでしたらお話しされたりして、まずは保護者の方が楽になることが一番だなと思います。そうすると連動して、子どもも楽になりますので。

あとは、お子さんとなかなかお話ができない方は特に、当事者の方の声を介して子どもの気持ちを知るというのも結構ヒントになると思います。私は当事者のお子さんの話を聞ける時に、「これ言ったらどう思う?」とかすごく細かく質問して、それをうちで実際に使って息子と会話したりしていました。

長くなりましたけれども、今日の交流会が皆さんの、次の一歩になるよう応援しています。

 

Staff member avatar Cさん
C(仮称)と申します。娘が1人おりまして、今定時制の工芸高校の1年生です。うちの子は金属を加工したりしてアクセサリーや小物を作る彫金が好きなので、4つある科の中のアートクラフト科を選択し在籍しています。

娘が不登校になったのは、中学1年生の12月でした。理由はわからないと本人が言っていたので、最初は何もわからないままでした。スクールカウンセラーや副校長先生から「寄り添いましょう」「待ちましょう」とアドバイスを頂き、半年ぐらいずっと娘と2人で家にいました。私が繋がっていた関係者は副校長先生とスクールカウンセラーと担任の先生でした。

正直何も変化はなくもちろん解決しませんでした。家でじっとしていればいるほど「なんで娘がこうなってしまったんだろう」「自分が過去にしてきたことが悪いんじゃないか」「家族が原因なんじゃないか」と自分や家族に原因を求め、自分を責めるサイクルに入っていました。

「お母さんが変わればお子さんも変わりますよ」と色んな方々からのアドバイスを聞いているうちに「どう自分が変わったら娘が変わってくれるんだろうか」の考えから、いつしか「自分が変わることで子どもを変えてみせる」と極端な考えに変化していきました。

今思い返せば相談していた時は変化を求められることはあっても共感はあまりなかったかもしれません。

そんな中で、世田谷区主催の「不登校保護者のつどい」が私の住んでいる地区でも行われることを知り、行ってみました。娘が不登校になってから初めて知らないところに外出しました。

そこで同じ不登校のお子さんを持つ保護者の方とつながることができ、初めて私の悩みに共感してもらえ「それでいいんだよ」と言ってもらえたことにとても救われました。

子どもが不登校になりこどもの不調で今までと同じように過ごせず、周囲との関係が変わる、近しい人からの言葉や態度等で傷つき、辛い思いをします。家に居ながらもなお、学校での出来事や学校にいる人たちに苦しんでいる娘を見ると本当に、本当に辛いです。代われるものなら代わりたい。そんな思いで毎日を過ごしていました。

娘は話をすると思い出して辛いのか、辛いから記憶を抹消しているのか「分からない」「聞かないで」と涙するばかりでした。母としてはなんとかしたい、でも娘は何も言ってくれないので、分からない。手立てがない状態でした。そんな中で、こういった不登校の会で当事者だったお子さんの声を聞くということが、何も語らない娘の声を聞いているようでとても心に沁み、ありがたいと思っていました。

『夢みる小学校』という映画の中である小学校の副校長先生が「子どもには好きなことをやってもらう。何かあったらそれは全部、大人が責任を取る」と仰っていたその言葉で不登校を受け止めることができたように思いました。それまでの私は娘に「どうするの?」「どうやって、この世の中を乗り越えていけばいいか、分かっているの?」といった正論を言って娘に責任を押し付けていましたが、「そうか、親、大人が、子どもを責任を取ればよくて、子どもは好きなことをしていいんだ」ということに初めて気き、娘に「ママが全部責任を取るから、ずっと好きなだけ休んでいていいよ」と言えました。今思えばそこら辺から娘が少し私の話に耳を傾けてくれるようになったように感じます。

また、私がお守りにしている言葉に、不登校のお子さんに約30年寄り添っている方の言葉があります。その方が不登校のお子さんに会うときにいつも言う言葉で、「君は悪くない」です。その言葉は私にも言ってくれている気がして、そこから「娘も私も悪くない」と思えるようになりました。不登校だというひけめが減少し、今の娘の状態でやりたいことができるように学校や周囲に協力をお願いするようになりました。

せっかくの進路の会ですので、うちの場合の中3、進学に向けて行った取組みをいくつかご紹介します。

娘が中3になるちょっと前ぐらいから「ずっと中2でいたい」と言い出したので、「中3を意識しているんだな」と分かりました。未知のものに対してとても不安になっているのだろうと思ったので、「高校ってこんなもんだよ」というイメージを持ってもらうために、『君に届け』という漫画を全巻買って、まず私が読み始めました。娘は漫画が大好きなので、リビングに全巻を置いておくと、娘もちょこちょこ読み始めて、「高校ってこういう感じなんだ」というイメージをつかんでいたようです。

また高校にはどんなものがあるのか知るために一般社団法人子どもの成長と環境を考える会が主催している「さんだる相談会」に参加しました。都内近郊の高校の校長先生や副校長先生が自校の紹介をしてくださる会に行きました、都立高校の中にも全日制や定時制、チャレンジスクールやエンカレッジスクールなど他にも種類があること、総合学科、単位制高校など知らないことが沢山ありました。高校の先生方が一堂に会して説明をしてくださるので各校の特色が比較しやすく、午後は個別相談ができるので今不登校の子が高校に通った場合どんな対応や配慮があるのかを質問できました。YouTubeの『受験応援「さんだるちゃんねる」』で説明会の動画があがっているので、もしよかったら観てみてください。

不登校だったお子さんが通われている高校で娘が行けそうな高校は全日制、定時制、通信制様々行きました。高校の説明会にはほぼ全て私が一人で行って、ここはいいんじゃないかなと思うところには娘に行ってもらいましたが、娘は、短い時はほんの5分だけ学校の中に入り「この学校は通えそうにない」「この学校のこんなところがよかった」とそれぞれの違いを確認していました。

 

Staff member avatar Dさん
チームOKのD(仮称)と申します。

「チームOK」というのは、発達障害の子どもを持つ親の会です。私たちは発達障害を「発達凸凹」と呼んでいます。この活動は、月に1回、発達凸凹の子どもを持つ保護者が集まり、子育ての悩みを共有しています。専門家がいるわけではないので、解決方法があるわけでもないですし、魔法の杖があって、今までの悩みが一瞬で消える、ということもありません。ですが、なかなかわかってもらえない我が子の、個性あふれるモヤモヤ話をして、心がちょっと軽くなるといいなぁという気持ちで開催しています。発達凸凹のある子どもたちはいろいろなタイプがいるので、必ずしも共通点がたくさんあるわけではありません。ですが、周囲にわかってもらえなかった悩みが、ここでは「あるある〜」と通じることがあります。そんな時、ホッとして、気持ちがちょっと軽くなります。

そのような会で経験談を話していると「うちの子とは違うから、あんまり参考にならないな〜」と、いう感想を持つ方も多いようです。その感想は正しいと思います。なぜなら、我が子は唯一無二、つまり、世界に1人だけの特別な子どもなので、対応策はオーダーメイドになるからです。ですから、私の話も、ふーんと聞きながら、うちの子には合わないなー、これはありかなー、ありよりのなしかなー、くらいの気持ちでお聞きください。

まず申し上げておきたいことは、発達凸凹だから不登校になるわけではありません。発達凸凹でも進学も就職もできます。ただ、環境が合わない時や苦手なことをしている時に、著しくパーフォーマンスがさがることがあります。そういう意味で、発達凸凹と集団生活の相性が悪い部分があり、それらはザックリまとめて3つあると私は思っています。1つ目は、マイペースなため周囲に合わせることで疲れやすいこと。2つ目は、人がたくさんいるところでは情報が多すぎて混乱してしまいやすいこと。3つ目は、切り替えが苦手で、取り掛かるのに時間がかかったり、気持ちの切り替えに時間がかかったり、作業がゆっくりな傾向があるということです。この3つは学校生活と非常に相性が悪い、私はそう考えています。本人たちはそれらのことを自覚はできてないけれども、実はそこに、困っている理由があるんじゃないかなと思っています。

子どもたちは、自分の当たり前をわざわざ大人に話したりはしません。「親の当たり前は子どもの当たり前とは違うかもしれない」と考えるとお子さんの理解への一端になるかもしれません。この発達凸凹は、脳の個性なので基本的には変わらない、と言われています。しかし、言葉にして助けや支援を求めることができれば、周囲の理解を得たり、環境を整えることができ、生きづらさや困りごとを軽減することができます。子どもたちに自分のことを説明する「言語化」という能力をつけてあげることが、生きづらさの軽減につながると私は考えています。

さて、我が家のことを話したいと思います。うちには子どもが2人います。上の子は男の子で現在23歳、大学を卒業後、就活を乗り切って就職して1年目の社会人です。息子は自閉スペクトラム(ASD)で学習障害(LD)の傾向があり、視覚過敏と聴覚過敏があり、とても疲れやすく集団生活が苦手で孤独を好みます。下の娘は、先日、成人式を迎えた大学2年生です。娘はADHD(注意欠陥・多動性障害)と自閉スペクトラム(ASD)と学習障害(LD)と聴覚過敏と視覚過敏を持っています。中学時代は2人とも不登校でした。

息子は幼稚園で既に不登園になっていました。小学校は担任に相談しながら何とか通いました。しかし、行き渋る息子との話し合いの結果、我が家では「有休制度」を作り、月に1回休みたい時に学校を休むというルールにしました。「行かない」という選択肢が増えたことで息子はずいぶん楽になったようです。ちなみに小学校4年生の時に、息子が言ったのは「母さん、運動会や学習発表会などの行事は希望者だけが参加したらどうかなぁ」でした。

カウンセラーの勧めで中学は中高一貫校に行きました。最初は上手くいっていましたが、中1の終わりから中3の終わりまで不登校でした。一貫校だったのでそのまま高校に上がることができたのですが、高校1年生の4月から登校し始めました。理由は、高校は3年で卒業しないとタイムパフォーマンスもコストパフォーマンスも悪いから、だそうです。嫌いな学校生活から一日も早く卒業したかったそうです。登校への転機は、スクールカウンセラーによるファミリーカウンセリングを受けたことでした。これで親子関係が変わりました。それは、私が息子の考えていることや、言ってることを理解できるようになったからだと思います。カウンセラーが、息子の考えや言葉を私にわかるように通訳してくれたからでした。「息子の当たり前」と「私の当たり前」が違うということが初めて腑に落ちました。信頼できる第三者の存在、これが本当に大切だと私は思っています。

高3になり、息子は大学受験の準備を始めました。受験の理由は「勉強は嫌いだし受験はしたくないが、就職はもっとイヤ」だからでした。息子は、字を書くということが苦手だったので、字を一切書かなくてよい塾に通いました。大学受験の時の息子の作戦は「ちょっと努力すれば入ることのできる大学を探すこと」でした。筆記が少なく、受験科目が少なく、マークシートで受験できる学校を自分で探しました。手先が不器用なので、マークシートしやすい筆記用具を探し、よく消える消しゴムをいくつも持って受験に臨みました。おかげさまで小規模の手厚い大学に受かりました。息子は自己理解をするためにマインドマップを使って、自分が得意なことや苦手なことの仕分けをし、それをもとに最小限の努力で入れる大学をラインナップしたそうです。

大学の授業を選択する時も、プレッシャーに弱い息子は一発勝負の試験を受けるのは負担なので、レポートや出席を重視する授業を選択しました。大学の授業の選択に関する情報もいっぱい出ているので、そういうものを活用して、単位を取りやすい授業、自分に向いている授業の情報を集めて、無事、最小限の単位数で卒業することができました。背伸びしない大学生活は気持ちも安定し、淡々と登校し、単位も失敗することなく取ることができました。このことが、最終的には就活でも良い結果をもたらしました。

息子の成長の転機は自己理解でした。それはスクールカウンセラーにきっかけをもらい、塾の先生に自分に合った指導を受けたことから道が開けたと思っています。親として、してあげたい事はいっぱいあったけれども、思春期を過ぎた息子は、親以外の素敵な大人たちに助けてもらうことになりました。客観的な意見や視点、評価しない斜めの人間関係、これがとても重要だったんだと思っています。

息子が大学生の時に言った言葉をお伝えします。「今ならわかる、学校の先生に伝えたかったこと。魚の形をしているからって、全部が海水魚だと思わないで欲しい。魚の形をしていても淡水魚も混じっているんだよ。淡水魚が海に行ったら死んじゃうんだよ、だから無理させないで欲しい」です。

娘の不登校の話もしたいところですが、時間もオーバーしたので、この話は、また、別の機会にしたいと思います。ありがとうございました。

 

いかがだったでしょうか。

それぞれの保護者の方が、お子さんと向き合う中で感じてきた思いの詰まったお話でした。
多くの方が、不登校の子を持つ親と出会う機会や相談先の存在に支えられたというお話をされていました。本サイトでは世田谷区内の様々な保護者の会や子どもの居場所などの支援情報を掲載しています。また、様々なイベント情報も掲載しています。ぜひご覧いただき、ご自身のタイミングで足を運んでみていただければと思います。

次の記事は、保護者のみなさまの経験談vol.2です。そちらもぜひお読みください。

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