「不登校当事者による多様な進路交流会」レポート① 〜子どもたちの経験談 vol.1〜
#子ども経験談

「不登校当事者による多様な進路交流会」レポート① 〜子どもたちの経験談 vol.1〜

2025年3月20日(祝)、三軒茶屋のキャロットタワー5階にて「不登校当事者による多様な進路交流会」が行われ、子ども、保護者、不登校経験のある子どもを支える学校の先生から経験談が語られました。この記事では、子どもたちの経験談をまとめています。
今回のイベントでは、5名の子どもたちが不登校の経験について語ってくれました。本記事は子どもたちの経験談 vol.1とし、そのうち2名のお話をお伝えします。
不登校だった当時自分が何を経験し、何を思っていたか、そして今日までどう歩んできたのかを自分の言葉で語ってくれています。ぜひご覧ください。

〜こちらもあわせてお読みください〜

★過去の「不登校当事者による多様な進路交流会」会場レポートはこちら

★子どもたちの経験談 vol.2の記事はこちら

 

ーーまず、自己紹介と共に不登校になった経緯をお話しいただければと思います。

Staff member avatar Aさん
大学4年生のA(仮称)と言います。この春大学を卒業し、大学院に進学する予定です。私は今24歳なんですけど、浪人と留年を1年ずつ経験しているので、2年遅れで今大学を卒業します。大学では、不登校を経験した子どもたちにインタビューをするという内容の卒業論文を書きました。

不登校になった経緯としては、高校1年の冬ぐらいに、原因が特に何かあったわけではないんですけれど、メンタルを崩して、そこからずるずる調子が落ちていって。ある程度出席をしなければ進級できないので、完全不登校ではなく五月雨登校をしていて、ギリギリ3年で卒業しました。その後浪人して、大学に入ってからもちょっと行けなくなったりする時期もありながら、なんとかやってきました。

 

ーー「不登校の時にどういう生活をしていたか」を聞いてもいいですか?

Staff member avatar Aさん
私は高校生の時ずっとうつ状態だったんですけど、うつ状態になると寝すぎてしまうタイプで。今でも落ち込みがある時は十何時間も寝ちゃうんですけど、当時はもっとひどくて、1日に15時間くらい寝ていました。昼夜逆転ですらなく、夜も寝て昼まで寝ていて、朝起きられないから学校に行けないという「負のループ」になっていました。勉強も、体力的にも時間的にもメンタル的にもできなくて、学校に行っても「授業を耐える」という感じの生活をしていました。

 

ーー親や周囲の大人からされて嫌だったことと良かったことを、それぞれ聞かせてください。

Staff member avatar Aさん
親に「一旦学校に行っちゃえば楽なのに」というようなことを言われたのがすごく嫌だった記憶があります。あとは、私は学校に行けるか行けないかがその日の朝にならないと自分でも分からなかったので、親に「今日は行けなそう」と伝えると、言葉では「じゃあ休んでおきな」と言っているけれどがっかりしていることが伝わってきて、「両親をがっかりさせてしまっているな」とも「なんで休んじゃダメなんだろう?」とも思っていました。

逆に、思っていたとしても「学校に行け」と直接言われることがなかったのは、助かったなと思います。それから、私は大学に行きたかったので自分では勉強しなきゃと思っていましたが、できない状況でした。自分では自分を責めていましたが、親からは「勉強したら?」とか「どうせ家にいるんだったら勉強すればいいのに」とは言われず、「勉強はしなくてもいいんじゃない?」と言われていて、それはすごくよかったです。

 

ーー不登校だった時、何が自分の支えになっていましたか。今悩んでいる当事者や保護者のみなさんに伝えたいこともぜひ教えてください。

Staff member avatar Aさん
高校で合唱部に所属していて、授業に出られなくても部活だけ顔を出している時もありましたが、部活の仲間はそのことにはあまり言及せず、一緒に歌う仲間として見てくれていました。そういう環境もそうですし、そもそも歌うこと自体によって発散できていたことが、実生活での支えになっていたと思います。

インターネットも支えになっていました。高校生になってスマホを買ってもらったのですが、ブログやSNSで、不登校経験を発信している人やうつ病だけど頑張っている人、全然外出られていないっていう日常をつぶやいている人などの投稿を見て、「自分は1人じゃないんだな」と知ることができたのがすごくよかったと思っています。あと、スマホを買ってもらってから、スマホ版の「どうぶつのもり」をやり始めました。そのゲームでは木に生えている果物を集めることができるのですが、3時間待つと同じ木にもう一度果物がなるんです。なので、3時間後にまた果物を採れるようになることを楽しみにしながら過ごしていました。そういうちょっとした楽しみが見つけられたので、任天堂さんにはすごく感謝しています。

今、渦中にいるみなさんは「そんなわけない」と思うかもしれないし、まだ通院しているので私の不登校も終わってはいませんが、今思えば「不登校自体はそんなに大したことなかったな」と思っています。そもそも学生時代は人生の中でわずかしかない特殊な期間なので、そこでうまくいかないことがあったとしても、その後の人生に影響は出るかもしれないけれど、何かができなくなるということはほぼなくて、これからやりたいと思ったことをいくらでもやれると思っています。今の時代、どんどん考え方が多様化していて、新しい仕事もどんどん生まれていて、どんどん世界が広がっている感じがするので、不登校であることに執着して苦しい思いをしなくても大丈夫じゃないかな、もっと肩の力を抜いても、なんとかなるんじゃないかな、と思います。

 


 

ーーまず、自己紹介と共に不登校になった経緯をお話しいただければと思います。

Staff member avatar Bさん
都立高校に通うB(仮称)と申します。

私が不登校になった経緯としましては、小学4年生ぐらいの時に、学校で私が体調を崩したことを友達にからかわれて、それが嫌で休み時間にお手洗いで泣いていたんです。戻ってきたら、担任の先生がそのことをクラス全体に話して、「トイレで泣いていたことが偉い」と言われました。そのことにモヤモヤして、すごく嫌で、小学4年生の頃は保健室登校をしていました。約半年後に教室に復帰して、小6の時には「毎日は行けない」という状態でした。

中学校に上がった時に「ちゃんと毎日行けるようにしよう」と思って、部活でバレーボールをすごくやりたくてトレーニングとかを無理に続けていたんです。今思えばすごく詰め詰めでやっていたので、心より先に体が壊れてしまい、3年間学校に行けなくなりました。

 

ーー「不登校の時にどういう生活をしていたか」を聞いてもいいですか?

Staff member avatar Bさん
私が一番「頭のおかしい」生活をしていた時は、1日1食食べればいいほうで、深夜1時に寝て、3時にアラームかけて起きて、外に散歩しに行くっていう、何を考えていたのかよくわからない生活をしていました。中3の頃は、今も直ってないんですけど昼夜逆転状態で、朝の10時くらいに寝て16時くらいに起きていました。

 

ーーそういう時、親からは何か言われましたか?

Staff member avatar Bさん
いや、まずほとんど顔を合わせていなかったです。その頃もお母さんが冷蔵庫に私のご飯を用意してくれていたみたいで、「用意してる」ってお母さんは主張していたんですけど、私が起きたらご飯は無いんですよ。なぜって、お兄ちゃんが全部食べてるから(笑)。

 

ーー親や大人からされて嫌だったことと良かったことを、それぞれ聞かせてください。

Staff member avatar Bさん
私が一番嫌だったのは、うつ状態を治すためにいろんな病院に連れて行かれたことです。遠方の病院に急に連れて行かれて、よく分からない単語をずらーっと説明されて、処方された薬を飲んだら体中に発疹が出たこともありました。その発疹について父には「悪いものを外に出す反応だから」と言われたんですけど、すごく嫌だったなという記憶しかないです。

良かったのは、いい具合に放置されていたことです。生活時間帯が合わなかったのもあると思いますが、しつこく「ご飯を食べたら?」などと言われることはなかった。勉強は、私の場合言われてしばらくの間は続けられるんですけど、ふっとできなくなったりすることがあったので、親から軽く「(勉強)しなよ」とは言われましたけど、強要はされなかったのがよかったなと思います。私にとって不登校の期間は自分について深く考える時間だったので、声をかけずにいてもらったことが私には合ってました。

 

ーー高校はどのように選びましたか。

Staff member avatar Bさん
母が数年前のこの進路交流会でもらってきた資料を見て、もともと物を作ったり絵を描いたりすることが好きだったので、工芸高校に興味を持って「よし、そこに行こう」と決めました。初めは4年制の定時制高校を選ぶことに抵抗があったんです。周りの子は大体18歳で高校を卒業して大学に行くのだろうと思っていたので、周りに置いていかれること、周りと違くなってしまうことが嫌で。でも結局、全日制の高校には通えないなと思って諦めました。あと、学校の雰囲気が静かだったので、それで「この高校だな」と思いました。

 

ーー不登校だった時、何が自分の支えになっていましたか。今悩んでいる当事者や保護者のみなさんに伝えたいこともぜひ教えてください。

Staff member avatar Bさん
不登校の間ずっと本を読んでいたんです。図書館に行く余裕がなかったので、青空文庫など無料で読めるものを読み尽くすぐらい読みました。小学校の頃に斜視があってスマホを制限されていたことと、父親が「子ども向けのアニメを観る時間があるなら勉強しろ」というタイプだったことによって、あまり漫画やアニメの文化に触れていなかったので、この機会にみてみようと思って見てみたらどっぷりハマって。部屋にこもっていたので、親にバレずに見ることができたのがよかったです。支えというか、それが楽しみだったなって思います。

伝えたいことは、「流れに身を任せるのがいい」ということです。きっかけがあるわけでもなく、学校に行けない時は本当に行けないし、行ける時にはスッといけるんです。行けないときは本当にどれだけ頑張って無理しても、心が、体が全部拒否している。私も中学の間行けてなかったですけど、今は高校にほぼ毎日通って、生徒会にも入って、「まともな人間」の生活をしてるので、意外となんとかなります、と伝えたいです。

 

いかがだったでしょうか。

不登校当事者のみなさんの、今だからこそ語れる経験・思いを聞くことができました。

次の記事では他の3名のお話をレポートします。ひとくちに「不登校」と言っても、その時の状況や本人の思い、その後の歩みは様々です。当事者それぞれの経験談をお読みいただければ嬉しいです!

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