
「不登校当事者による多様な進路交流会」レポート① 〜子どもたちの経験談 vol.1〜
2025年3月20日(祝)、三軒茶屋のキャロットタワー5階にて「不登校当事者による多様な進路交流会」が行われ、子ども、保護者、不登校経験のある子どもを支える学校の先生から経験談が語られました。この記事では、子どもたちの経験談をまとめています。
今回のイベントでは、5名の子どもたちが不登校の経験について語ってくれました。本記事は子どもたちの経験談 vol.1とし、そのうち2名のお話をお伝えします。
不登校だった当時自分が何を経験し、何を思っていたか、そして今日までどう歩んできたのかを自分の言葉で語ってくれています。ぜひご覧ください。
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★過去の「不登校当事者による多様な進路交流会」会場レポートはこちら
ーーまず、自己紹介と共に不登校になった経緯をお話しいただければと思います。

不登校になった経緯としては、高校1年の冬ぐらいに、原因が特に何かあったわけではないんですけれど、メンタルを崩して、そこからずるずる調子が落ちていって。ある程度出席をしなければ進級できないので、完全不登校ではなく五月雨登校をしていて、ギリギリ3年で卒業しました。その後浪人して、大学に入ってからもちょっと行けなくなったりする時期もありながら、なんとかやってきました。
ーー「不登校の時にどういう生活をしていたか」を聞いてもいいですか?

ーー親や周囲の大人からされて嫌だったことと良かったことを、それぞれ聞かせてください。

逆に、思っていたとしても「学校に行け」と直接言われることがなかったのは、助かったなと思います。それから、私は大学に行きたかったので自分では勉強しなきゃと思っていましたが、できない状況でした。自分では自分を責めていましたが、親からは「勉強したら?」とか「どうせ家にいるんだったら勉強すればいいのに」とは言われず、「勉強はしなくてもいいんじゃない?」と言われていて、それはすごくよかったです。
ーー不登校だった時、何が自分の支えになっていましたか。今悩んでいる当事者や保護者のみなさんに伝えたいこともぜひ教えてください。

インターネットも支えになっていました。高校生になってスマホを買ってもらったのですが、ブログやSNSで、不登校経験を発信している人やうつ病だけど頑張っている人、全然外出られていないっていう日常をつぶやいている人などの投稿を見て、「自分は1人じゃないんだな」と知ることができたのがすごくよかったと思っています。あと、スマホを買ってもらってから、スマホ版の「どうぶつのもり」をやり始めました。そのゲームでは木に生えている果物を集めることができるのですが、3時間待つと同じ木にもう一度果物がなるんです。なので、3時間後にまた果物を採れるようになることを楽しみにしながら過ごしていました。そういうちょっとした楽しみが見つけられたので、任天堂さんにはすごく感謝しています。
今、渦中にいるみなさんは「そんなわけない」と思うかもしれないし、まだ通院しているので私の不登校も終わってはいませんが、今思えば「不登校自体はそんなに大したことなかったな」と思っています。そもそも学生時代は人生の中でわずかしかない特殊な期間なので、そこでうまくいかないことがあったとしても、その後の人生に影響は出るかもしれないけれど、何かができなくなるということはほぼなくて、これからやりたいと思ったことをいくらでもやれると思っています。今の時代、どんどん考え方が多様化していて、新しい仕事もどんどん生まれていて、どんどん世界が広がっている感じがするので、不登校であることに執着して苦しい思いをしなくても大丈夫じゃないかな、もっと肩の力を抜いても、なんとかなるんじゃないかな、と思います。
ーーまず、自己紹介と共に不登校になった経緯をお話しいただければと思います。

私が不登校になった経緯としましては、小学4年生ぐらいの時に、学校で私が体調を崩したことを友達にからかわれて、それが嫌で休み時間にお手洗いで泣いていたんです。戻ってきたら、担任の先生がそのことをクラス全体に話して、「トイレで泣いていたことが偉い」と言われました。そのことにモヤモヤして、すごく嫌で、小学4年生の頃は保健室登校をしていました。約半年後に教室に復帰して、小6の時には「毎日は行けない」という状態でした。
中学校に上がった時に「ちゃんと毎日行けるようにしよう」と思って、部活でバレーボールをすごくやりたくてトレーニングとかを無理に続けていたんです。今思えばすごく詰め詰めでやっていたので、心より先に体が壊れてしまい、3年間学校に行けなくなりました。
ーー「不登校の時にどういう生活をしていたか」を聞いてもいいですか?

ーーそういう時、親からは何か言われましたか?

ーー親や大人からされて嫌だったことと良かったことを、それぞれ聞かせてください。

良かったのは、いい具合に放置されていたことです。生活時間帯が合わなかったのもあると思いますが、しつこく「ご飯を食べたら?」などと言われることはなかった。勉強は、私の場合言われてしばらくの間は続けられるんですけど、ふっとできなくなったりすることがあったので、親から軽く「(勉強)しなよ」とは言われましたけど、強要はされなかったのがよかったなと思います。私にとって不登校の期間は自分について深く考える時間だったので、声をかけずにいてもらったことが私には合ってました。
ーー高校はどのように選びましたか。

ーー不登校だった時、何が自分の支えになっていましたか。今悩んでいる当事者や保護者のみなさんに伝えたいこともぜひ教えてください。

伝えたいことは、「流れに身を任せるのがいい」ということです。きっかけがあるわけでもなく、学校に行けない時は本当に行けないし、行ける時にはスッといけるんです。行けないときは本当にどれだけ頑張って無理しても、心が、体が全部拒否している。私も中学の間行けてなかったですけど、今は高校にほぼ毎日通って、生徒会にも入って、「まともな人間」の生活をしてるので、意外となんとかなります、と伝えたいです。
いかがだったでしょうか。
不登校当事者のみなさんの、今だからこそ語れる経験・思いを聞くことができました。
次の記事では他の3名のお話をレポートします。ひとくちに「不登校」と言っても、その時の状況や本人の思い、その後の歩みは様々です。当事者それぞれの経験談をお読みいただければ嬉しいです!