「不登校当事者による多様な進路交流会」レポート② 〜子どもたちの経験談 vol.2〜
#子ども経験談

「不登校当事者による多様な進路交流会」レポート② 〜子どもたちの経験談 vol.2〜

この記事では、2025年3月20日(祝)に三軒茶屋のキャロットタワー5階で行われた「不登校当事者による多様な進路交流会」にてお話をしてくれた子どもたちの経験談について、まとめています。
前回の記事に引き続き、本記事は子どもたちの経験談をお届けする第2弾です。4名のお話をお伝えします。
不登校だった当時自分が何を経験し、何を思っていたか、そして今日までどう歩んできたのかを自分の言葉で語ってくれています。ぜひご覧ください。

〜こちらもあわせてお読みください〜

★子どもたちの経験談 vol.1の記事はこちら

★過去の「不登校当事者による多様な進路交流会」会場レポートはこちら

 

ーーまず、自己紹介と共に不登校になった経緯をお話しいただければと思います。

Staff member avatar Cさん
通信制高校1年生のC(仮称)です。

僕が不登校になったのは、中学2年の終わりぐらいです。苦手な行事があったので「足が痛い」と先生に言ったら、「休むのは良いけど、部活は出れないよ」と言われました。その時は「分かった」と言って家に帰ったんですけど、やっぱり部活に行きたいと思って学校に戻ったんです。そうしたらその先生にすごく怒鳴られて、泣きながら家に帰って「もう学校に行かない」「もう辞める」と言って。そこからもう学校に連絡しないでずっと無断で欠席していました。

でも、学校に行っていない間に「このままでいいのかな」「このまま先生に負けてていいのかな」と思ったので、もう一度学校に行きました。中3の4月に学校を転校したんですけど、友達関係でまた学校に行けなくなっちゃって。その時に、「今の自分はちょっと弱い自分だな」「自分を強くしたいな」と思って格闘技を始めたんです。格闘技をやると自分の心も体も強くなっていきました。

中学卒業後4月から通っている通信の高校では、中学校の時に勉強ができなかった分、中学校の復習もやっています。再試験があるので、1回目の試験で落ちても2回目で何とか合格して、2年生に進級できています。

 

ーー「不登校の時にどういう生活をしていたか」を聞いてもいいですか?

Staff member avatar Cさん
体を動かすのが好きだったので、家で筋トレしたり、ジムのトレーナーと一緒に朝8時くらいに起きて走ったりしていました。11時から13時くらいまでジムの練習に行って、家に帰って、また夜に友達とジムに行って、帰ってくるのが22時くらい、という生活です。

 

ーー親や大人からされて嫌だったことと良かったことを、それぞれ聞かせてください。

Staff member avatar Cさん
不登校だった時にジムで「学校に行ってない間は走ろう」って言われて、その時はマラソンとか苦手だったのでやりたくなかったんですけど、ランニングとか筋トレとかキツいトレーニングをずっとやらされてました。それが本当に嫌でした。でも、格闘技を通していい人に出会えたりとか、いろいろ相談に乗ってくれるトレーナーがいたりもしたので、格闘技を始めてよかったです。

 

ーーCさんは今、よくSNSで海外の格闘家さんとやりとりをしているんですよね?

Staff member avatar Cさん
はい。英語はあまりよくできないですけど、アプリでチャットの文面を翻訳して海外の格闘家とやり取りしてて、今めちゃくちゃ仲良いです。その選手が来日した時、試合に招待されました。

 

ーー周りの大人たちは「もっと学校の勉強した方がいいんじゃない?」と心配していたけれど、学校の英語ができなくてもGoogle翻訳でコミュニケーションを取れるわけですよね。Cさんを見てすごいなと思ったし、Cさんから大切なことを教わった気がします。話は変わりますが、高校はどのように選びましたか。

Staff member avatar Cさん
親と一緒にいろんな学校を見学しました。今行っている学校は週2日行けばよいと聞いて、もともと学校毎日行くのが本当にしんどかったので、週2日だけ学校に行ってその他の日は学校外で好きなことやって、とできるなら自分にとって楽だしいいなと思って決めました。

 

ーー最後に、不登校当事者の人やその周りの大人へのメッセージをお願いします。

Staff member avatar Cさん
勉強はいつでもできるので、まずは好きなことをたくさんやってください。

 


 

ーーまず、自己紹介と共に不登校になった経緯をお話しいただければと思います。

Staff member avatar Dさん
D(仮称)と申します。今大学院で日本史を勉強していて、この春修士2年になります。

僕が不登校になったのは10年近く前です。私立小学校に通っていて、6年生の夏に不登校になりました。卒業はできましたが進学ができなかったので、公立の中学校に転校しました。中学校は入学式だけ行って3年間行けず、その後大学付属の通信制の高校に入って、そのまま大学に上がって、今大学院にいます。経緯はあまりよく分からないんですけど、いろいろなことが重なって不登校になった、みたいな感じです。

 

ーー「不登校の時にどういう生活をしていたか」を聞いてもいいですか?

Staff member avatar Dさん
僕は適応障害の診断を受けていて、昼夜逆転もしていたこともあるけれどそもそも外にあまり行けなくて。視線が怖いっていうか、他の人と会ったり、人に見られたりするのが怖かったんです。夜になると「誰かが入ってきて殺されるんじゃないか」という不安があったので、夜に寝られなかったんですよね。だから夜はずっとゲームをして、明るくなって誰かが起きてきたら寝る、という生活をしていました。

 

ーー親や大人からされて嫌だったことと良かったことを、それぞれ聞かせてください。

Staff member avatar Dさん
テレビやYouTubeを観ていて「学校」「教育」「勉強」というワードが耳に入った時に、自分のことを責められているような気持ちになって、ものすごく嫌だったのを覚えています。あとは、自分の容姿を見たくなくて、写真を撮られたり鏡を見たりするのが嫌だったんですよね。だから中学校時代の写真はほとんど残ってないんです。学校に行けてない自分の状態を可視化することが嫌だったのだと思います。

良かったことは、最初は親が「学校に戻れ」っていう方針だったんですけど、ある時から一切そういうの言わなくなって「行かなくていい」っていう方針になったことです。そこからすごく自分の気持ちが楽になって。「親が自分の味方になってくれたんだな」っていう実感みたいなものがたぶんあったんだと思います。あと、自分は絵を描いてたんですよ。自分の中に溜まっている気持ちを発散していたのかなって今は思うんですけど。当時の自分が描いた絵には、今の自分には絶対描けないような、当時の気持ちが詰まっている気がするので、そういう発散ができていたのもよかったなと思います。

 

ーーもともと学校に行かせようとしていたお母さんが方針転換したきっかけを、今会場で本人の目の前にいらっしゃるお母さんに聞いてみたいです。

Dさんの母)私は毎週家族療法のメンタルクリニックに通っていたのですが、ある時お医者さんに「もう学校に行かなくていいです」と言われて、診断書を出してもらって学校から「撤退」することになったのです。それまでは毎日「戦い」がありました。

 

ーー高校はどのように選びましたか。

Staff member avatar Dさん
僕は中学校に行けていなくて、毎日学校に通うのは無理だなと思っていたので、通信制がいいと思っていました。また、中学生の時から「大学に行って学芸員資格を取りたい」と思っていたので、大学付属の通信制高校で、こぐまの会(※不登校の子を持つ親の会)につながっている先輩がいた学校に行くことになりました。

 

ーー不登校だった時、何が自分の支えになっていましたか。今悩んでいる当事者や保護者のみなさんに伝えたいこともぜひ教えてください。

Staff member avatar Dさん
中2の夏に自分の家の戸籍を見て、自分の家の歴史を知りたくなり、世田谷区の郷土資料館に収蔵されている自分の家の古い資料を見に行ったら、そこの学芸員の方がそれを一緒に読んでくださったんです。それで「自分も学芸員になりたいな」と思って今大学院にいるので、目標になる人が現れたことは幸運だったなと思います。それから、この進路交流会のような機会に、不登校を経験した先輩たちの話を聞いて、こういう人たちがいると知ったことも支えになったと思います。

何をもって不登校を克服したかっていうのは難しいと思うんですけど、僕は今、不登校だった経験のことについては何も思わないんですよ。悪かったとも良かったとも思わないんですけど、ただの過去として清算されていて、今は自分が目指したいものを目指しているだけだと思っています。

 


 

ーーまず、自己紹介と共に不登校になった経緯をお話しいただければと思います。

Staff member avatar Eさん
この春高校を卒業して4月から大学生になります、E(仮称)です。

私が不登校になった経緯としては、小学3年生の時にいじめが始まったんですけど、その時は不登校にすぐなるっていうより頑張って通ってて、いじめが落ち着いた頃の小学6年生の時にひどかった時期のことをいろいろ思い出してしまって、それが原因で学校に行けなくなりました。

中学校もあまり行けずに過ごしたんですけど、途中から頑張っていくようにして、高校は全日制通って、卒業して今に至るという感じです。今日はよろしくお願いします。

 

ーー「不登校の時にどういう生活をしていたか」を聞いてもいいですか?

Staff member avatar Eさん
小学生の時は、学校の相談室が空いている日だけ登校したり、それ以外の日にほっとスクール(※世田谷区の教育支援センター)に行ったりして過ごしていました。中学生の時は、特に学校以外に居場所があったわけではなかったので、学校に行かないという日はずっと家にいました。

 

ーー家では何をしていた過ごしていたんですか?

Staff member avatar Eさん
記憶がなくて…。でもそれほど昼夜逆転はしていなくて、夜寝て朝起きて、一日ぼーっとするみたいな。それだけでした。

 

ーー親や大人からされて嫌だったことと良かったことを、それぞれ聞かせてください。

Staff member avatar Eさん
私が学校に行かず家にいるという選択をしたことを、親は無駄な時間の過ごし方だと思っていたみたいで、「学校に行った方がいい」「なんで行かないんだ」と毎日言われていました。それはすごく嫌だったんですけど、ある日何も言わなくなって。それからは学校に行くか行かないかについて、私の意見を尊重してくれたし、私が「学校に行く」と言うと逆に「休めば?」と言われるようにもなりました。見放されたというよりも「ほどよい無関心」という感じがしていて、私にはその関係性がちょうどよかったです。

 

ーー高校はどのように選びましたか?

Staff member avatar Eさん
「夢を見つけたいな」と思っていて、総合学科とチャレンジスクールのどちらに進学するか悩んでいました。中3の時は学校に通えるようになっていたので、このまま全日制の総合学科に行っても大丈夫だろうと思って、自分で決めて総合学科に入りました。

 

ーー不登校だった時、何が自分の支えになっていましたか。今悩んでいる当事者や保護者のみなさんに伝えたいことも、ぜひ教えてください。

Staff member avatar Eさん
学校に行けなかった期間、小学生の時はほっとスクールに行ったり、中学生の時にはこぐまの会の人とのつながりができたりして、親でも学校の先生でもない立場の大人たちと出会いました。その人たちは親とも学校の先生とも違う生き方をしてるな、楽しそうに生きてるなと思っていて、その人たちから刺激を受けました。いろんな人に出会っていろんな考え方や生き方を知ったことで、「私が今学校に行けていないのも別にそんなダメなことじゃないな」と思うようになり、安心感や希望をもらえた気がします。今思い返せば、学校に行かずに家にいた時間も全く無駄ではなくて、その時間があるからこそ今の自分がいるわけなので、何も悩むことはなかったなと思います。

 

いかがだったでしょうか。

当事者のみなさんそれぞれの経験・思いを聞くことができました。

子どもの経験・思いが多種多様であるのと同様に、保護者の歩みも様々です。次の記事では保護者のお話をレポートします。お楽しみに!

一つ前のページに戻る
どんな悩みも
一緒に考えます。
一人で抱え込まず、どんなことでも私たちに話してください。
学校のこと、友達のこと、将来のことなど、まずはお話ししませんか?
個別相談はこちら