「不登校当事者による多様な進路交流会」レポート⑤ 〜世田谷泉高等学校の生徒の経験談〜
#子ども経験談

「不登校当事者による多様な進路交流会」レポート⑤ 〜世田谷泉高等学校の生徒の経験談〜

 2025年3月20日(祝)、三軒茶屋のキャロットタワー5階にて「不登校当事者による多様な進路交流会」が行われ、子ども、保護者、不登校経験のある子どもを支える学校の先生から経験談が語られました。この記事では、不登校を経験し、世田谷区内のチャレンジスクールである東京都立世田谷泉高等学校(以下、世田谷泉高校)に通う3人の生徒さんの経験談をご紹介します。最後には、世田谷泉高校校長(当時)の沖山栄一先生のお話も掲載しています。

 この日にお話をしてくれた生徒さんは3人とも野球部で、試合に出場してからこの進路交流会に来てくださったそうです!和やかな雰囲気の中語られた3人の思いを、どうぞお読みください。

〜こちらもあわせてお読みください〜

★世田谷泉高校のご紹介

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★子どもたちの経験談 vol.1の記事はこちら

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Staff member avatar Aさん
僕は中学1年の6月から学校に行ってなかったんですけど、小学校から行ってないという子たちもいたりして、その子たちは僕からしたらベテラン扱いしていて、尊敬しています。

僕には親が父親しかいなくて、兄がいるんですけど、兄もずっと不登校で、悪い言い方ですけど兄の背中を追いかけちゃったんですね。親はあまり干渉してこなかったのですが、今通っている世田谷泉高校については「家から近いから、行ってみれば?」という感じで紹介してもらいました。

無事に卒業させていただくことになったんですけど、僕はこの学校に入ってよかったなって思っています。もちろん部活も楽しいですけど、部活以外にも楽しいことが多くて、友達とただ話しに学校行く、そのついで授業に出るみたいな。で、そしたらもうなんか卒業できちゃってるみたいな。結構もう、この学校に入ったらそれぐらい楽に考えてもいいよって思います。

会場にいらっしゃる校長先生には、あとで謝ります(笑)
Staff member avatar Bさん
僕は今高校2年生で、あと1年間この学校にいるんですけど、僕が不登校になったのは中学1年生の夏でしたね。僕が中学1年生の時にちょうどコロナが流行って、入学が6月に遅れてしまったんです。それで、大体3月から6月までの間が結構暇で、あまり勉強せず遊んでいたので、学校が始まると勉強についていけなくて辛くなって、夏休み終わってからも学校に行けなくなったなという感じで。そこから中学3年生までずっと家にいて、たまに休日に出かけるくらいでしたね。

中学3年生になった時に「このままだとやばいな」と思ってめちゃめちゃ苦しんでいたんですね。自分で何をすればいいか分からなくなって。そんな時に親に「フリースクールに行ってみない?」と言われました。中1の時から言われてはいたものの行きたくないと思っていたんですけど、中3の時にやっぱり行こうとなって、そこからフリースクールに通い始めました。最初は行くのが難しかったですけど、週に2回から行き始めました。基本的に人の少ないフリースクールだったので、周りの目を気にせず気軽に通えました。ここで少し勉強したり進路のことも考えたりして、この世田谷泉高校という高校を見つけました。もともと野球が好きで、高校からやりたいなと思っていたので、高校の部活体験に行って先輩に会って「この野球部の雰囲気がいいな」と思ってこの高校を選びました。中学校を卒業する1ヶ月前くらいから学校に復帰することができて、卒業式までの1ヶ月間は学校に行くことができました。
Staff member avatar Cさん
この中だと一番不登校歴が長い、ベテランのCです。小学校5・6年から行かなくなって、中学校は完全に行ってなくて、高校も1年生の時には通っていませんでした。

最初は、ちょっと体調を崩して小学校に行くのが難しくなってしまって。学校に行かない生活を続けているうちに、「行くのが辛いわけじゃないけど行かない方が楽だな」と自分で思ってしまって、そのままずるずる過ごしていました。高校にはこの世田谷泉高校に入れたんですけど、1年目は通えず野球部だけに参加していました。

僕は母親しかいなくて、小学生の時は母親から「なんで行かないの?」「行った方がいいんじゃない?」などとよく言われていたんですけど、途中からだんだん「行かなくても別にいいか」という考えに変わってきたようで、中学生の時には、学校に行かなくても「今日行かないんだね」「じゃあ家で過ごしてくれない?」くらいの感じでした。それで結構自分の中で楽になったんですかね。行かないから自分の中でも罪悪感はあるんですけど、1番身近な存在が学校に行っていない状況を責めてこないことでとても楽になりました。

中学校の先生にもだいぶお世話になって高校に入ったんですけど、入学後1年間そのまま不登校を続けて、高2の時に自分の中で「さすがに行かないとまずい」「この先俺はどうすればいいんだ」「このまま行かなかったら、たぶん自分じゃどうにもできない場所まで行ってしまう」と思いまして、そこから行くようになりました。 僕は三部なので遅い時間から、大体17時とか18時から授業が始まるんですけど、朝は起きれなくても全然OKで、遅い時間から通うことで自分の中で通いやすい習慣というか、1日のルーティンを作れるようになりました。結局2年生以降はほぼ毎日行けるようになって、今年僕はもう卒業なんですけど、大学に進学することが決まりました。

もちろん不登校が別に悪いこととは思ってないんですけど、ずっと学校に行っていないと結局自分がどんどん苦しくなってしまうと思います。僕自身、高校1年生の時とか本当にどうすればいいんだろうって毎日悩んで考えて、それでどんどん悪循環になっていたんですね。それを解決できるのは自分自身かなという風に思ってます。

 

沖山先生

 今回はたまたま野球部の3名の生徒をご紹介しましたが、彼らはうちの学校において特別な存在ではないです。Bさんのように1年目は通わなかったみたいな生徒もいますけども、世田谷泉高校では自分でペースをつかんでほぼ登校するようになる生徒が6割です。その生徒たちは今日話してくれた彼らのように、自分の好きなことを見つけたり、新しい出会いがあったりして、それを支えにして学校生活を継続して卒業を目指すことができるという子どもたちです。彼らも話してくれましたけれども、三部制であったり単位制であったりという特色が、それを後押ししてくれる仕組みになっているということは間違いがないです。

 この春も141名の生徒が卒業しましたが、私が1番嬉しかったのは、2024年度は例年にまして5年生・6年生の卒業生が非常に多かったことです。本校は4年での卒業を基本としており、6年まで在籍できるんですけども、2024年度には5年生が10名、6年生が8名卒業してくれました。卒業した6年生のうち2人は3年まで全く通っていなくて、ゼロ単位で4年次を迎えて、そこから3年間頑張って卒業を決めていきました。今年で本校は25年目を迎える学校ですけど、これまでは、5・6年生になると在籍はしていても結局卒業できず満期退学になっていくのが実態でした。そこで、ここ数年、学校もいろいろな努力をして新しい仕組みを作ってきました。教室での対面授業を受けることだけが単位を取る方法ではなくて、いろいろな方法で学習ができるという仕組みを作ったりとか、「3分の1以上欠席したらもうアウト」という何の根拠もない履修規定みたいなものを見直して、努力をしている生徒にはもっと努力させて単位を認定していくとか。この春にも、昨年度までだったら1単位も取れなかった196名の生徒が、この柔軟な履修制度によって単位を取得していきました。こうして単位を積み上げていくことができるので、卒業に一歩一歩近づける、卒業を期待できるんですよね。もともと元気がある、エネルギーもある、努力もできる子どもたちはもちろん自分の力で卒業していきますけれども、ちょっと崩れちゃったな、リズムが持てないな、自分の高校生活がなかなか見通しが持てないなって子どもたちも、仕組みがあることによって応援ができるっていう学校に少しはなりつつあるかなっていうところであります。

 ですから、入学して6割の生徒が登校できる、登校して生徒にはこういう生徒がいるなんてことを、今日その一端をご紹介したわけですけども、本校でも、都立の他のチャレンジスクールや昼間・夜間定時制高校などでも、こういう子どもたちの姿が増えていくと確信をしています。登校できなくても、それを苦にする必要はなくて、学ぶ選択肢はたくさんある、そういうふうに学校が変わりつつありますから、登校できないということを苦しむ必要は全くなくて、それよりはどうやって学んでいこうか、どういう学び方を選択していこうかということに努力をして、学校がそれに応えていくことができれば、おのずと開けてくる道もあるという風に思っています。それが学校のこれからの役割かなと思っています。

 全校生徒のうち3割は、全くの不登校になっています。人数で言うと180人から190人くらいいます。その子どもたちのために、その子どもたちの選択肢として、今年度から遠隔授業をやったりとか、通信距離の仕組みで単位認定できるという、舵を切りました。都立高校では唯一、舵を切りました。自慢ではないです。なんでやらないんだって思っていますけども、他の学校は様子を見ています。でも私たちは様子を見ていると、彼らの貴重な時間がどんどん失われていくので、不十分でもとにかくやるんだと思って、先生方にも協力をしてもらって、遠隔授業をやったり、通信教育の課題を出したり、添削をしたり、スクーリングをやったりということを取り組んでいます。

 まだまだ成果はこれからだと思っていますけども、とにかくそんな風に学びは大きく変わっていきますので、期待を持ってほしいし、私たちが、学校が最低限やらなきゃいけないことは、楽しい部活を用意することでもあるし、楽しい行事を準備することでもあるんだけども、最後の最後は、やっぱりしっかり学んでもらって、単位を取って、卒業してもらって、次のステップに進んでもらうということ。これはもう最低限学校がやらなきゃいけないことだと思っているので、そのことに、ちょっと真面目に努力ができるようにしなきゃいけないなというところを、校長としては感じています。 

 

 平成28年に教育機会確保法ができて、「不登校は悪いことではない」「環境によっては誰もが不登校になる可能性がある」ということを認めて、「登校することだけを目標にしない」という方針が打ち出されました。あれから9年目を迎えていますが、ようやく学校が変わる環境が整ってきたと思います。これで学校が変わらなかったら、恐らくまだ何十年もこの国では学校は変わらないんだと思います。そういった意味では、今本校のような高校は大きく生まれ変わっていく時期を迎えていますので、ぜひ「学校は必ず変わっていく」という期待を持っていただきたいですし、逆に言うと「学校は変わらないんですか?」という声をどんどん学校にあげてもらいたいと思っています。学校は生徒のためにある世界ですので、生徒のありように学校のほうが近づいていく必要があります。チャレンジスクールが理念にしてきた「生徒が学校に合わせるのではなくて、学校が生徒に合わせていく」ということが、ようやく形になっていくという時期を迎えていると思います。変わらない学校もたくさんありますけれども、学校というものに対しては諦めないでいただいて、自分に合った学び方を選択してほしいなというメッセージにしたいと思っています。

 また、私は残念ながら2024年度いっぱいで世田谷泉高校から異動することになりました。どんどん生徒が自分たちの人生を切り開いていくこと、それを少し後押しするのが本校であることには希望を持っていますので、引き続き世田谷泉高校や都立高校全体に期待を持っていただき、子どもたちを支援する仕組みを「もっともっと早く動かしてほしい」という声をぜひ上げていただきたいと思っています。


 いかがだったでしょうか。区内のチャレンジスクールに通う生徒さんたちのリアルな声を聞くことができました。当時校長でいらした沖山先生のお話からは、学校のあり方自体が大きな過渡期にあることが感じられました。

 次の記事では、不登校や教室にいることが苦しい状態にある、もしくはその経験のある児童生徒を支えてきた学校の先生のお話をご紹介いたします。お楽しみに!

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