「不登校当事者による多様な進路交流会」レポート③ 〜子どもたちの経験談 vol.2〜
この記事では、2024年11月4日(祝)に三軒茶屋しゃれなあどホールにて行われた「不登校当事者による多様な進路交流会」の第2部でお話をしてくれた子どもたちの経験談について、まとめています。
今回のイベントでは、7名の子どもたちが不登校の経験について語ってくれました。本記事は、子どもたちの経験談をお届けする第2弾です。vol.2として、4名のお話をお伝えします。
それぞれが、どんな経緯で不登校になったのか、不登校の時期はどんなことを感じ、考えて、どのように過ごしていたか、保護者の関わりで嬉しかったことと嫌だったことなどを話してくれました。
勇気づけられる話も多いと思いますので、ぜひご覧ください。
〜こちらもあわせてお読みください〜
★保護者の方の経験談 vol.1の記事はこちら(公開をお待ちください)
★保護者の方の経験談 vol.2の記事はこちら(公開をお待ちください)
ーーまず自己紹介と不登校になった経緯、その時どんな生活をしていたかを教えてください。
私は、小3の時、父の都合で長野に引越しをしました。そこでいじめにあってしまったのですが、当時は学校は休まず、誰がやったかわからないが耐える、という生活をしていました。高校受験を考えるにあたって、「誰がやったのかわからない」というところが急に心配になったり、それを毎日不安に感じたりと、追い込まれているような感覚を持ちながらの生活になってしまい、「環境を変えないと!」と思い、親にお願いして東京に戻ってきました。
当時は、母が家で塾をしており、不登校気味のお子さんたちもいたので、そこで一緒に過ごしたりしていました。中学の終わり頃に転校し、高校に入学するも、行ったりいなかったりしていました。
不登校になった経緯は、やはり長野でのいじめでした。年月を重ねるごとに、「誰がやっていたのだろう」という怖さが大きくなり、過去を振り返るとパニックになってしまったり、学校に行くと足やお腹が痛くなったり、通学途中で気を失ってしまったりということなどがあり、高校は中退しました。
そして、大学進学はどうしようかなと思っていた時に、高卒認定試験のことを知り、高3の時に高卒認定をとり、今の大学を受験した、という感じです。
ーー保護者の関わりでよかったことなどはありますか?
ーーまず自己紹介と不登校になった経緯、その時どんな生活をしていたかを教えてください。
私の場合は小3でいじめが始まり、小6の時に、いじめは落ち着いてきていたのですが、過去を思い出してすごく辛くなってしまって学校に行けなくなりました。その時は、家やほっとスクールで過ごしていることが多かったです。中2の夏休みに「やっぱり学校に行こう」と思い直し、2学期から毎日通うようになって、今は全日制の高校に通っています。
ーーなぜやっぱり学校に行こうと思ったんですか?
ーー保護者の関わりでよかったことや嫌だったことはありますか?
ーーまず自己紹介と不登校になった経緯を教えてください。
僕は、高1の夏休み明けから学校に行けなくなりました。元々背伸びして入った高校で、学力的についていくのが難しかったこともあり、夏休みの課題にも手をつけずに過ごしました。だけど完璧主義であるという自分の性格も相まって、課題が終わっていない状態で夏休み明けに学校に行く、ということはできず、9月1日から行かなくなりました。その後は、ちょこちょこ行ってみたり、留年して1代下の代のクラスに行ってみたりもしましたが、あまり続かず、結局行かなくなりました。もともと映画監督になりたかったので、先生が理解してくれたのもあり、高卒認定をとって映像制作の専門学校に入り、今は映像や写真などの仕事をしている。現在23歳です。
ーーその時どんな生活をしていましたか?
あと、親の知り合いで、カウンセリングみたいなことをしている方がいて、その人の自宅でカウンセリングをしてくれていて、お茶飲みながら最近の話をするだけなんですが、行っていました。赤の他人の大人と関わるのはあまりない機会だったので。その方は、色んなことをズバズバいってくる人で、「それはなんでそうなの?」などとよく聞いてくる人だったんですが、触れられたくないこととかもズバズバ聞いてくることがあって。それをされているうちに、なんかイライラした感情などが出てきたんです。そこで、「これって最近あまりない感情だったな」と思い、そのあたりから自分に感情が戻ってきた感じがしていました。
ーー保護者の関わりでよかったことや嫌だったことはありますか?
よかったことは、途中から昼夜逆転していることなどに対して何も言わなくなったこと。この時に親へのストレスは少し軽減しました。昼夜逆転していても、その時間に映画をたくさん見て、そこから目指したいものが見つかって、実際に専門学校に行って今仕事としてやることができているわけです。ゲームもそうですが、親が辞めたほうがいいかもと思うことでも、好きなものからヒントを得ることや見つけるものがたくさんあると思います。それを忘れずに生きていけることもあると思うんです。自分は、寝静まってから借りてきた映画を見続けて、朝、親が起きてきて「朝だよー」くらいの声かけだけで何も言わなくなった時に、今までの自分は間違いだけではなかったんだなと思えて、感謝することができています。
ーーまず自己紹介と不登校になった経緯を教えてください。
僕は小学校は恵まれた先生も多く、友達と遊んでいて楽しかったです。中学校に入って、先生が苦手だったり、クラスメイトが変わって環境がガラリと変わったりしてしまい、安心して過ごせる環境ではありませんでした。また、勉強などはやる気がなかったので、夏休みに入って宿題をやらず、でもこのまま学校にいって先生に怒られるのはすごく嫌だなと思い、それが重圧で学校に行けなくなってしまいました。1週間くらい経ってから学校に行ったんですが、その頃には勉強のやる気が全然なく、「なんで勉強しなきゃいけないのか、意味がわからない」と思ってそのまま学校に行かなくなりました。その時、追い打ちをかけるように女子からもいじめを受けて学校を完全に離れることになったんです。その後、中2の時に世田谷区立桜丘中学校が紹介されているドキュメンタリー番組をみて、校長の西郷先生なら生徒を尊重してくれるかもな、と思って親に伝えたら「東京に引っ越してみる?」という話をしてくれて、福島から東京に引っ越すことになりました。そして桜丘中学校に転校しました。当時、自分はマルチタスクが得意だと思っていたので、授業中に勉強だけするのは暇だから、ゲームでも一緒にやろうと思って、ノートPCを持って学校に行っていました。その時、先生は理解があったんですが、周りの子達から「何やってんだよ」などと言われたことで、温度感が違うなと思い2日くらいでやめました。
ーーその時どんな生活をしていましたか?
ーー中学卒業後、ほぼ1年間高校に行かなかったと思いますが、その選択をしたのはなぜですか?また、その後改めて高校に行こうと思ったのはなぜですか?
改めて高校を考えたきっかけは、ゲーム関連です。スマブラのオフラインの大会やコミュニティが優しくて、楽しそうな雰囲気で、配信などを見て、こういう仲間と一緒に遊べたらいいな、と思っていました。ただ、自分自身がどこにも所属しない状態でオフラインの場に参加するのが、なんとなく自分にとってハードルが高く、学校に所属していないことで社会的な立場がわからず、自分に自信が持てていませんでした。なので、「自信をつけるため」というモチベーションで学校に行くということを考え始めました。また、それとは別に難しいゲームが好きで、そういうのをプレイする中で、人生を含めた物事において、「失敗してもいいからとりあえず挑戦することが大事」で、「それが失敗したか成功したかはあまり重要ではない」、ということを学びました。そこから少しずつ上向きになっていったように思います。重ねて、そのタイミングで「リングフィットアドベンチャー」という体を動かすゲームをやり始めたら、人生のモチベーションが上がっていくのを感じました。そして自分にできることは全部やりたいなと思うようになりました。
それくらいの時に母から「こぐまの会という不登校の人たちで話す会があるからいってみないか」と誘われ、そこで世田谷泉高校の沖山校長と出会いました。ちょうど中学卒業して1年弱たつ冬だったのと、前年度定員割れもしていたので、受かるだろうと思って世田谷泉高校を受けたが落ちてしまいました。でもそこまで大きく落ち込まず、こぐまの会にも続けて顔を出していたら、桜町高校の2次募集がまだやっていると聞いて、「このまま1年何もせずゲームをするよりは、一旦学校に行ってみようかな」「勉強がモチベーションではなくて、友達としゃべったり人間関係を広げたりという目的で学校に行ってみるのもいいかもしれない」と思い、入学することにしました。きっかけとなったスマブラのコミュニティには入りたいと思っていたので、入学後にすぐに入り、どんどん友達も増やしていきました。
いかがだったでしょうか。
それぞれが、自分のペースで休憩し、考え、エネルギーを貯めて動き出したことが伝わったのではないでしょうか。
もちろん、これからもまた休みたくなることがあるかもしれませんが、周りの大人もそれを応援し、一緒に考え、サポートしていける社会になるといいなと思います。
今回の子どもたちの経験談は以上になります。
今後、保護者の経験談もレポートしますので、ぜひお読みください。